大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(う)495号 判決

被告人 木ノ内強

〔抄 録〕

同第二点について

所論は、被告人は、いん唖者中最も症状の重い先天的全聾に該当する者であるから、刑法四〇条前段を適用して無罪を言い渡すべきであるのに、原判決が、被告人は本件犯行当時是非善悪を弁別し、かつ、その弁別にしたがって行動することができたことが明らかである、として同条後段を適用したのは、事実を誤認し、かつ法令の解釈適用を誤ったものである、というのである。

しかし、原判決の掲げる関係証拠のほか、原審で取り調べた司法警察員作成の昭和五一年九月三〇日付報告書添付の聾学校高等部生徒指導要録写、原審公判廷における証人木ノ内崎江、同近藤誠二、同富田英嗣らの各供述を総合すると、被告人は先天的に聴覚機能と言語機能を欠如するいん唖者であり、いん唖者の中でも重症の部類に属する者であることは所論のとおり認められるが、原判決が、弁護人の主張に対する判断の項において判示するとおり、被告人は、県立沼津聾学校の小、中学校の課程を終え、さらに高等部木工科に進んで、これを昭和四八年三月に卒業し、学校においては口話法による教育を受けたので、日常会話程度を理解することができ、口話法通訳によりかなりの程度他人との意思疎通もできること、また、片仮名、平仮名及び平易な漢字の読み書きができるので新聞も読め、筆談による他人との意思疎通も可能であること、学力は、特に計算能力が劣り、全体的にみて小学校四、五年生程度のものであるが、是非善悪の弁別能力は一応備えていること、特に高等部を卒業するとすぐ静岡市内にある東海家具工業株式会社に家具の塗装工として就職し、他の工員に伍して引続き稼働しており、昭和五一年五月からは寮を出て富士宮市の自宅から電車を利用して通勤するなど、一般社会に適応した生活を送っていたことなどが認められるから、教育を受け、社会経験を積むことによって、被告人は本件犯行当時、是非善悪を弁別し、これに従って行動する能力を全く欠く状態ではなかったことが明らかである。刑法四〇条前段の規定は、同条及び関係条文の趣旨に照らし、所論のいうように、いん唖者のうちの重症者に対し一律に適用すべきものではなく、いん唖者のうち、是非の弁別能力及びこれに従って行動する能力を全く欠く者のみに適用すべきものであって、重症のいん唖者であっても、教育等によってこれらの能力を備えるに至った者に対しては適用を除外すべきであると解するのが相当であるから、前記のような精神状態にあったことが認められる被告人に対しては同条前段を適用すべきではないといわなければならない。これと同趣旨の判断により被告人に対し同条後段を適用した原判決には事実の誤認はなく、従ってまた法令適用の誤りも存しない。論旨は理由がない。

(小松 山崎 鈴木)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!